バベルの塔

分散的で、非中央集権的で、誰にもどこにも特権管理者のいない自治的な仕組みをインターネット上に実現して、情報が自由に迅速に広く平行に広がっていく仕組みを実現できれば・・・

 

それはすばらしく便利で楽しい社会が訪れると、その昔自分は本気で考えていて、ソフトウェアを作って公開したりプロジェクトに参加したり会社を作ってみたりもした。

 

しかしいまや、その思想は、完全に間違いだと気づいた。

 

情報をいち早く他人に伝達すること、あるいはそういうモチベーションが高まる方向へひたすら誘導することが突き詰められた結果、その現状を広く見渡したとき、メリットとデメリット、どちらが多いだろうか。

 

答えは自明だ。

 

ネットユーザーが大衆化するとこれほど醜悪になるとは予想できなかった。 自分が見ていた少数の良心的なアーリーアダプタ層をモデルにしてしまったのが間違いだった。重要なのはGAFAがどうこうではない。問題はバベルの塔だ。

 

「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。

 

いちど創造的に壊さなくてはならない。

 

これが次のインターネットをドライブさせる動力源になるはずだ。