シン・エヴァ劇場版が傑作になりきれなかった2つの難点

1. 碇シンジの「成長」

完結編ではここが最大の見どころと思っていたが、やはりダメだった。「立ち直り」の過程が説得力をもって描けてない。

 

いきなり目ヂカラ満点に「ボクもヴンダーに戻ります」と言い、そこから一気に最後までブレずに突き進む。第三村での人々のやさしさ?人の心をもった黒波の存在?うーん。

 

足掛け25年間、この少年のメンタルの弱さに翻弄され続けてきた我々が、1時間の描写で成長してしまう姿に、果たして納得できるだろうか? 正直、きょとんとする以外に反応しようがない。

 

2.マリの超人ぶり

戦闘においては負けなし。俯瞰した目を持ち、状況を見通し、情報通で、ここぞという場面に「最善手」を打ち続けるキャラ。最後には世界までも救ってしまう。マジでカッコいい。

 

当然のことながら、通常、こういった役割は「主人公(あるいは主人公をメインにしたチーム)」が果たす。そうでないと話しが終わらない。

 

しかし本作で主人公はすでに無理筋。かといって別の登場人物にこの役を担わせるのは、伏線が厚すぎて無理。よって新キャラに託すしかないという流れ。本4部作で突然登場した人物にすべてを託してしまうご都合主義。

 

 

Airのラストから25年。Qから約10年。「物語をハッピーエンドで終わらせる」ために考え抜いた結果として、主人公のこの描き方や、「マリ」という仕組みの導入を、どうしても避けられなかったというのなら、それらが必ずしも上手く作用していない以上、この結末もまた、「うまく終わりきれてない」と、言うほかないだろう。