なぜ人は代替YouTubeを作ろうとせず、YouTuberになろうとするのか

YouTubeみたいなすごいシステムを作るなんてプログラミングが必要だし、だいたい一部の天才しかできないだろ。

YouTuberなら簡単、誰でもなれる、機材揃えるのも安い。自分にもワンチャンある。

 

そういいたいのだろうが、完璧に間違い

 

いまどき動画サービスなんてプログラムなしで実現できる。

スケールさせたければ専門の人材を呼べば良い(ノウハウは十分ありふれている)

サービスを広げたければ専門の人材を呼べば良い(ノウハウは十分ありふれている)

そしていまどこかに良い投資先はないかと世の中に金はありあまっている

景気悪いとかデフレとかそんもの嘘。金は余っていて燃料はいくらでもある。

(のだが、ほとんどの人には無縁の世界で回っているだけだ)

 

一方でYouTuber。ブログと違って動画はビジュアルが尖ってないとアクセス稼げないのは自明だろ。その時点で相当数の人間がふるいにかけられ脱落する。なのになぜプログラミングの方が難しいとかほざくのか。そっちの方がよほど間口が広いんだよ。

 

おまけに

・顔をさらし

・炎上リスクを負い

・糞コメに心を痛め

・場合によっては家族も巻き込み

・次のネタ探しで頭がいっぱい

・24時間制作漬け

そうして得られる対価は最大でも年商1億程度・・・ぶっちゃけ少なすぎないか?

 

ゲームの参加者は胴元より儲けることなんてできないぜ?

なぜ鵜飼になろうとしないのだろうか。不思議でしかたがたない。

 

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長良川{ながらがわ}の鵜飼を描いた江戸時代の錦絵。平安~武家時代、長良川の鵜飼は献上アユを供給する源として、君侯の特別な庇護{ひご}を受けた。渓斎英泉{けいさいえいせん}画『岐阻路ノ駅河渡長柄川鵜飼船{きそじのえきごうどながらがわうかいぶね}』国立国会図書館所蔵