決断するということ

日本代表ポーランド戦。テレビを見ている者の中で、あの瞬間に「攻め続けて1点狙う」と「現状維持で負けにもちこむ」の選択肢がありうる、ということを瞬時に理解していた人間がどれほどいただろうか。

 

攻める以外のオプションを想像できないのであれば、それは「決断」ではない。よってそのような者に「決断」を行った者の批評はできない。選択肢が1つしかないなかでの実行は、決断しているのではなく、させられているだけだ。

 

・会社をやめて独立する「決断」をした

 →会社の仕事がストレスすぎてこれ以上続けられない。実質、やめる選択しかなかったのに「独立」を選択したかのように思い込んでいる

 

・VCからの資金調達を「決断」した

 →資金調達しなければ半年後にショートが見えている。実は選択肢など最初からない

 

普段、われわれが下すほとんどの決断は、実は、「1択の再選択」に過ぎない。

これをあたかも「自由に選択した結果」と思い込んでしまう。

 

「その選択肢は本物か」

 

を常に問い続けろ。